唯物史観の批判と克服
日本共産党は、共産主義のことを「科学的社会主義」と呼んでいます。その根拠は弁証法的唯物論が科学的であり、それを人類の歴史に当てはめると、全ては階級闘争として解釈できるからだとしています。その歴史観を唯物史観といいます。
共産主義者が革命に狂奔する根拠もこの理論ゆえです。その実体は、見せかけだけの捏造された歴史観であることがわかります。
■ 唯物史観とは
一言でいえば「歴史は闘争によって発展する」とした歴史観です。要点は「生産力(生産道具と使う人間)の発展により、生産関係が発展するが、次の段階へ飛躍する時、対立関係にある支配者と被支配者の間で闘争が起き、被支配者側が勝利して新しい生産関係が確立する」と主張しています。
さらに、物質から精神が発生したとする唯物論を、そのまま歴史に適用させたのが「上部構造と下部構造」という理論です。ある生産関係(社会や経済体制)が定まると、その上に政治や法律・宗教・道徳・美術などの精神的なもの(観念形態)が生じるとし、生産関係を「下部構造」、観念形態を「上部構造」といいます。
そのため共産化すると、上部構造である宗教や道徳、遺跡などを封建体制の遺物だと否定し、弾圧・破壊しました。中国での文革もその思想の実践でした。
■ 唯物史観の結論
共産主義者は、現在の政治や宗教・道徳・倫理・芸術などは所詮、少数の大資本家が支配する資本主義社会のあだ花(上部構造)としか考えていません。そのため、政治や法律などをいくらいじくったとしても、社会は良くならないばかりか、むしろ土台(資本主義社会)を強化するだけと捉え、世の中を変えるには土台を変えるしかないとしています。
つまり、土台を転覆=革命するしか、社会を良くする手段はないというのが、唯物史観という歴史の法則だという訳です。共産主義者が命がけでテロや革命を行うのは、この唯物史観を信じているからにほかなりません。
■ 唯物史観の批判
全ての発展は、弁証法的に対立物の闘争によるとしていますが、唯物史観で主張する生産力における「対立物」について、マルクスをはじめ共産主義者は、重要な問題であるにも関わらず、一切明らかにしておりません。
当然です。生産力である労働力と生産用具が闘争しては、何も生産(発展)されないばかりか、破壊しかあり得ないからです。「科学的社会主義」と誇り、その根本とする唯物史観が、全く弁証法的でないことは明らかです。
唯物史観では、あらゆる戦いは「階級闘争」といいます。しかし、現実には民族や国家、宗教、権力者同志などの争いで、階級闘争ではありませんでした。
また、人類の歴史は奴隷社会、封建社会、資本主義社会などと「土台」が変わってきましたが、奴隷制時代に誕生した「上部構造」とされるキリスト教、仏教、イスラム教などの宗教や、ギリシャ芸術、ローマ法などは、今日もなお高く評価されています。このように、土台が変われば上部構造も変わるというマルクスの主張は誤っていることがわかります。
■ 唯物史観の代案
そもそも歴史の発展は、闘争によって起こるものではありません。存在物は全て、主体と対象で成り立ち、両者の協調、ギブアンドテイク、つまり「授受法(じゅじゅほう)」によって発展してきました。
農業の例では、より多く収穫したいという人(主体)が、新しい農機具や耕作法(対象)を生み出して生産力が発展します。国では政治家など(主体)が、国民や社会(対象)に役立つ政策を立案し、指導者(主体)と市民(対象)が互いに協力(授受)することで発展してきたわけで、決して闘争によったものではありません。
闘争は支配者と被支配者との間ではなく、古い指導者に対し、新しい指導者が現れて起こりました。日本における明治維新も、同様のケースといえましょう。階級闘争という概念は、労働者を革命に立ち上がらせるための理論だったことがわかります。
「世界思想」2017年6月号より転載
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