日露の歴史的合意、「新しいアプローチ」とは何か?


 日露首脳会談の結果に対して、「がっかりした」(自民党幹部)、「肩透かし」(朝日新聞) 、日本が「譲歩した」(日経新聞)など、厳しい評価が目立ちました。その理由として、共同声明に北方四島の帰属問題に触れた文言がない、経済協力が先行すれば平和条約が後回し、あるいは置き去りになるのではないか、などがあげられています。

 

 しかしこの合意は、歴史的なものであったと正しく評価されるべきです。その意味を説明しましょう。

 共同声明のポイントは以下の四点です。

 

① 北方四島で「共同経済活動」の協議を始めることが平和条約締結に向けた重要な一歩になりうることを首脳同士で確認、

 

② 「共同経済活動」の協議では、国際的な約束の締結を含む法的基盤の諸問題を検討、

 

③ 共同経済活動は平和条約問題に関する両国の立場を害さないことを確認、

 

④ 高齢化する元島民らの墓参について、出入り手続き地点の追加や簡素化などの案を迅速に検討、となります。

 

 そして、「共同記者会見」のポイントは以下の三点です。

 

① 北方四島での共同経済活動の実施のための「特別な制度」についての交渉を開始することで合意、

 

② 両首脳とも、平和条約締結に向けた意欲を表明し、その一歩となる共同経済活動を評価、

 

③ 北方領土問題を含む平和条約締結交渉について、首相が「まだまだ困難な道は続く」との考えを表明、などとなります。

 

 この度の会談および合意の最大のポイントは、「新しい発想に基づくアプローチで平和条約締結に向かうことを合意した」(安倍総理)ことです。

 

 まず、平和条約交渉とは北方四島の帰属を確定する交渉であり、どこに国境線を引くかという問題に解を得るための交渉です。

 これまで日本政府は、国境線が確定するまでは一切経済活動には関与しないという姿勢を貫いてきました。そして国民には、四島への渡航も自粛するように求めてきたのです。

 

 交渉では、日本は、四島は日本の固有の領土であるとして択捉(えとろふ)島と得撫(うるっぷ)島の間で国境線を引くように主張してきました。

 

 一方ロシアは、四島は第二次世界大戦の結果としてロシア領になったとして、双方の主張が真っ向から対立したまま、様々な紆余曲折はあったものの、交渉は事実上停滞したままだったのです。

 

 これでは一歩も前進しないし、元島民の方々も高齢になり、すでに「限界」状況にあります。そこで、「新しいアプローチ」です。それは、国境線をまず引くという発想を転換するということなのです。

 

 国境線を引くことを、とりあえず脇に置き、まず島の将来像について議論をしようというものです。国境線が確定された後の将来像の具体化作業です。国境線はいずれかの時点で必ず引く。そして平和条約を結ぶ。その後の将来の島の姿を「今」作ってしまう。それにつながる第一歩に今回の合意を位置付けるのです。

 

 これまでも、1998年、2005年など、「共同経済活動」は交渉の中で話し合われてきましたが、これらはすべて、国境線を画定するまでの「仮の制度」という位置づけでした。

 

 しかし今回の合意は、国境線が確定した後の日露の協力の枠組み(恒久的制度)を、いまから一歩一歩着実に築いていくためのルール作りを始めようということです。

 

 この点を踏まえれば、共同経済活動の対象が四島となったということの意味は大きいものとなります。四島を対象に国際約束(国際条約のようなもの)の締結を含む、実施のための法的基盤を検討するというのです。「四島返還」の可能性を認めたことになるからです。

 

 秋葉剛男(たけお)審議官、ロシアのフォーブロフ外務次官は、12月14日から会談が始まる直前まで、ぎりぎりの交渉を行いました。その結果、「双方の法的立場を害さない枠組みを作る」(北方四島への日本の主権は害されない)という文言を声明文に入れることができたのです。

 

 これは安倍総理にとって、大きな成果であったと言えるものであり、プーチン大統領が事実上、「譲歩」したと言えるでしょう。しかし、プーチン氏としては、四島の主権の問題に関するロシアの原則的立場は譲っていない。であれば、日本の協力を引き込むことは、ロシア側の住民にとっても良いことだと判断したのでしょう。

 

 この新しい発想が平和条約につながるのか否か、現段階では分かりません。しかし、この交渉と合意は「日露国交回復60周年にふさわしい合意」(下斗米伸夫法大教授 読売新聞12月17日付)として評価されるべきものなのです。

 

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