沖縄問題の本質は安保闘争+独立工作


 「世界思想」2017年5月号に掲載された「誌上セミナー」――祖国復帰45周年を機に沖縄の歴史から問題の根幹を抉る仲村覚氏の講演要旨を転載し、ご紹介します。(1月22日「第1回 沖縄と日本の絆セミナー」より)

 

一般社団法人日本沖縄政策研究フォーラム理事長 仲村覚

 

 私は沖縄県那覇市生まれで、1972年の祖国復帰の時、小学校2年だった。沖縄が左翼が強いとの認識は以前からあったが、2007年頃「このままでは沖縄が危ない。中国が本気で狙っている、憲法改正が急務」と悟ったが、沖縄がその最大の障害になっていると気が付いた。

 

全国的左翼の安保闘争

 沖縄の普天間基地反対運動は、実は全国の左翼が仕掛ける安保闘争で、その延長上に名護市長選、県知事選挙を仕掛けているとわかった。これは大変だと思い、証拠を集め保守の先生を訪ね、「沖縄を拠点に普天間問題をこじらせ日米安保破棄を画策している」と訴えたが、「頑張って」と言うだけで保守は沖縄まで手が回らなかったのだ。自分が動くしかないと沖縄の活動を始めた。

 

 さらに、「沖縄県祖国復帰協議会」が中心となり行われた復帰運動は、日本共産党を中心とした左翼勢力の70年安保闘争の別働隊であり、復帰は日米安保破棄のための煽動ツールだった。結局、復帰運動を左翼に乗っ取られたことが、復帰後、左翼が沖縄と相性が良く、保守は苦手になっていた原因だ。

 

 そして尖閣諸島沖の中国漁船体当たり事件の後、中国語のインターネットサイトから「琉球臨時政府憲法」、沖縄を独立させた時の「臨時の憲法」を発見し中国が沖縄独立工作を仕掛けていることがわかった。

 

 つまり沖縄問題とは、「安保闘争+独立工作」がセットになって動いているが、誰も知らなかった。これが陰謀論のように言われてきたが、ようやく公安調査庁が「中国が琉球独立工作を仕掛けているので要注意」とする趣旨の報告を初めて公に発表するに至り、国政に影響を与えるまでに7~8年かかった。

 

 つまり、「南京大虐殺」「従軍慰安婦」問題以上に歴史が長く最も成功しているプロパガンダこそ沖縄問題だ。誰が何の意図で沖縄の情報をコントロールしているかわからないと沖縄の「歴史戦」も戦えない。わかりやすいのは沖縄の新聞報道だ。

 

 2015年5月17日、那覇市のセルラースタジアム那覇で開催された「辺野古移設反対県民大会に3万5千人集まった」とした沖縄の地元紙「琉球新報」では、見開き2面で報じていた。建設費の75%に日米友好の補助費に防衛予算が充てられたこのスタジアムで基地反対の集会が行われているのが実態なのだ。

 

 この「報道写真」はスタジアムのスタンド席とグラウンドを参加者が埋め尽くしているように見える。ところが、実は2塁ベース付近から超広角で撮影したトリック写真。せいぜい1万7千人程度しかおらず、メディア報道は明らかにウソだ。

 

 しかも、同集会は「県民大会」と謳っているが、「全日本水道労働組合」や社民党系の「石川県平和センター」などの全国組織が「県民大会」に動員している。

 

 沖縄では毎年祖国復帰記念日の5月15日を米軍基地を押しつけられた屈辱の日として、5月に大規模な「平和行進」と「県民大会」が行われている。しかし、沖縄では盛り上がらず、参加するのは公務員ぐらい。半分以上を本土から労組を中心に動員し、「全国の反米大会」と称し沖縄でやっているのが実態だ。

 全国マスコミも地元紙に追随し沖縄の真実を報道しない。

 

危険な先住民族独立論

 国連では「沖縄県民は先住民族」という勧告が4回も出され、「国連標準」にされている。「明治時代と江戸時代、沖縄は2度侵略(『薩摩侵略』と明治政府の『琉球処分』を指す)された」とし、翁長氏は「先住民族の酋長」とされている。実は、県民の知らぬ間に沖縄先住民族論を国連に報告しているのが、「反差別国際運動日本委員会」で、その実態は部落解放同盟中央本部だ。

 

 『別冊宝島』に「燃え上がる沖縄独立論」があり、沖縄独立論が盛り上がってきたとの趣旨だ。そもそも、「沖縄はいつから日本になったかわからない」が日本政府の公式見解で、中国政府は琉球は日本に侵略されたという。「沖縄は昔から日本」と主張する学会も政府見解もないのは危険な問題だ。私が最も恐れるのは、この「沖縄の歴史戦」。米軍基地問題は先住民族論の契機に過ぎない。

 

 東村高江地区のヘリパッド反対運動に対し、「先住民族の権利」として認めようと国連では言っている。日本のヘイトスピーチ規制法で問題とされるのは、日本人以外の人々に対し言われている内容だ。高江の反対住民が「日本人ではなく先住民族」とされた場合に、「基地反対は権利であり、それを悪く言うのはヘイト」となってしまうため危険だ。

 

 実際、選挙で琉球独立論を掲げ当選した政治家は、沖縄に過去一人もいない。最近の沖縄メディアは「沖縄先住民族論」は沖縄では全く通用しないので、「沖縄の自己決定権の回復」と言い換えているが、英訳すると「民族自決権」となり、「独立論」につながるため要注意だ。

 

 琉球独立工作を戦後最初に仕掛けたのは蒋介石で、ハワイ生まれで反日帝活動を行っていた蔡璋(さいしょう、喜友名嗣正)に「琉球革命同志会」「琉球国民党」を創らせ独立工作させた。

 

 その後、毛沢東が日米安保破棄を目的として沖縄県祖国復帰の大衆運動を煽動した。中国の抗日戦争勝利20周年の記念切手に沖縄返還運動をプリントし「共通の敵、米帝」を謳い、「沖縄を返せ!」という日本語の襷をかけた日本人が描かれ、毛沢東がいかに日米分断を画策したかを物語る。

 

 1964年、東京オリンピックの開催で、日本中で聖火リレーが行われた。画期的なのは、当時日の丸掲揚が禁止されていた米軍統治下の沖縄で聖火リレーが行われたこと。

 

 翌年、戦後首相で初めて沖縄を訪問した佐藤栄作は、「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって《戦後》が終わっていない」と名演説を行った。この佐藤首相を動かしたのは、鹿児島選出の山中貞則代議士で、「祖国復帰に内閣の命運を賭ける価値がある」と膝詰め談判で沖縄訪問を進言した。

 

沖縄戦の英霊と祖国復帰

 戦後分断された日本本土と沖縄。沖縄戦を正しく見ることこそ、日本の歴史を共有することだ。沖縄戦で沖縄の人々が「本土の捨て石にされた」と言うが、実は沖縄戦で全国47都道府県の多くの若者が亡くなっていることを忘れている。「平和の礎(いしじ)」は全国の英霊が沖縄戦で散華したことを記す証拠だ。そして沖縄県民、特に鉄血勤皇隊の中学生らが散華した。この実情を克明に記した守備隊の司令官・大田実中将の「沖縄県民斯ク戦ヘリ、県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」との電文を心を動かされた山中が、佐藤に沖縄訪問を献策した。まさに沖縄戦で散華した英霊の導きで奇跡的な本土復帰につながったのだ。

 

 その意味で沖縄県祖国本土復帰とは、戦争によって分断された民族が、再び統一された歴史であり、日本民族全体で共有すべき、重要な記念日なのである。

 

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