日本共産党の正体① コミンテルンに忠実な僕


革命の日本支部として誕生

 ここ数年、日本共産党が票を伸ばしている。国会議員の数で言えば、野党では民進党に次ぐ第2党。極めて危険な傾向だ。共産党のことをよく知らずに、「戦争に反対している」「与党の暴走を止めてくれる」といったイメージをもつのだろう。だがそのイメージは、事実とは全く逆である。その本質を知るために、まず原点ともいうべき戦前の歴史を見てみよう。

 

 日本共産党は、ソ連が設立した世界共産化のための組織、コミンテルンの日本支部として誕生した。コミンテルンとは「共産主義インターナショナル(Communism International)」の略称だ。

 

 つまり日本共産党の設立目的は、日本を資本主義から解放すること、言い換えればソ連による日本支配を実現することだったのだ。もし仮に、彼らの目的が実現していたら、日本も北朝鮮のような国になっていただろう。

 

 当時の日本共産党は、コミンテルンからの指令や資金を受けて活動していた。特に重要だったのが、日本への指令がまとめられた「テーゼ」である。「テーゼ」は日本の天皇制や軍事力を否定する一方、ソ連や中国の軍事力は肯定した。この考え方は現在も、「自衛隊は憲法違反」だが、中朝の脅威には触れない矛盾として受け継がれている。

 

 また党員らは、「テーゼ」の指示に従い、誘拐強盗詐欺恐喝などを行った。政府はこれを脅威とみなし、党員らを次々と摘発した。

 

 やがて党内では、「特高警察のスパイが潜んでいる」との噂が広がった。こうして起きたのが「スパイ査問事件」である。これは後に党書記長(党トップ)となる宮本顕治が、仲間2人をスパイと決めつけ、「査問」と称する凄惨なリンチを行った事件である。当時の赤旗(現「しんぶん赤旗」)には、「(2人を)党規に基づき極刑をもって断罪する」と掲載されている。これは日本共産党が、元来人権を尊重する団体ではないことをはっきりと示している。

 

 結局宮本は、監禁致死罪や死体遺棄罪など7つの罪状で無期懲役が確定し、網走刑務所に収監。しかし戦後に政治犯が釈放された際、誤って釈放された。宮本は最高幹部ポストを24年間務めたが、当時の共産党は「犯罪者」が率いる無法集団だったと言える。

 

(「世界思想」2017年6月号より転載)

 

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