家族条項が衰退日本を救う


超少子化克服へ「家族の価値」を取り戻せ

 わが国の出生数が昨年、100万人の大台を割り込んだ。出生数の100万人割れは統計を開始した1899年以来初めてのことだ。近代化を目指した明治、大正、そして昭和の各時代を通じても経験しなかった出来事である。わが国は超少子化時代に突入した。

 

 このまま手をこまねいていれば、日本の人口は2060年には約8600万人へと減少し、安全保障も社会保障も根底から揺らぐことになる。国土交通省の試算では50年には国土の約6割が無人になるとしている。

 

 なぜ人口減社会となったのか。人口維持には合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子供の数)が2.07以上であることが必要だが、現在は1.46(15年)にとどまっているからだ。このため政府は「希望出生率1.8」を掲げてさまざまな施策を講じている。

 

 だが、その達成には遠く及ばない。出生数減少は未婚率の上昇と密接な関連があることに留意すべきだ。年齢別の未婚率は、1980年に25~29歳男性が55.1%、女性が24%、30~34歳男性が21.5%、女性9.1%だった。これに対して2010年には25~29歳男性が71.8%、女性が60.3%、30~34歳男性が47.3%、女性が34.5%へと急上昇した。おまけに出産適齢期の女性が減っている。

 

 出生数を増加させる決め手は、20代~30代前半に結婚する男女を増やす以外にない結婚して子供をもうけ、家族を創る喜びを今一度、復活させねばならない。そこができていないところが日本の最大の弱点なのである。現行憲法は「個人の尊重」を強調するあまりに家族を軽視してきた。憲法制定70年を経てそのツケが回ってきたのである。

 

共産主義が歪めた個人の過剰な尊重

 憲法の「生みの親」であるGHQ(連合軍総司令部)は日本の「軍国主義」の根源を伝統的な「家制度」にあると断じ、これを壊さなければ民主化はあり得ないと考えた。そこからことさら「個人の尊厳」が強調された。それが第13条の「すべて国民は、個人として尊重される」である。

 

 と言っても、GHQ内の多くの米国人は日本式の「家制度」を壊しても「家族」そのものを壊そうとは微塵だに思っていなかった。それは米国の児童憲章(1930年)が「すべての児童に家庭および家庭のもたらす愛と保護を、里親の下で育つほかない児童にはその家庭に最も近い親代わりを」との家族主義を基調しているところからも知れるだろう。

 

 だからGHQが当初提示した憲法草案には「家族は、人類社会の基礎であり、その伝統は善から悪しかれ国全体に浸透する。従って、婚姻と家族は法によって保護される」とあった。ところが、制定過程で日本側が憲法条文には相応しくないと主張し、削られてしまったのである。

 

 ここにGHQ内の容共グループがつけ込んだ。条文作りに関わったのがロシア系ユダヤ人の女性文官、ベアテ・シロタ・ゴードン(当時22歳)という人物である。少女時代に日本に居住し、戦前の日本の男女不平等、特に見合い結婚に強い嫌悪感を抱いていたと後に述懐している。

 

 彼女は東京の焼け野原を駆け回り、焼け残った図書館からソ連憲法の資料(「スターリン憲法」と呼ばれるソビエト社会主義共和国同盟憲法)を探し出した。それで彼女が関わった当初案には、結婚は「男性支配ではなく」と書かれ、非嫡出子の平等、「同じ仕事に対して男性と同じ賃金を受ける権利」などが盛り込まれていた。これらに日本側が抵抗し結局、現行24条の婚姻条項となったのである。

 

 それで24条は「離婚並びに婚姻及び家族」と、離婚が真っ先に書かれ、婚姻と家族は付け足しのように扱われ、「個人の尊厳」の前では影の薄い存在にされてしまった。家族という視点に立てば明記されるべき「両親」や「父母」といった表現はどこにもない。

 

 もとより「個人の尊厳」は守られねばならない。だが、その基盤となっているのが家族であり、それがないがしろにされては個人も存在できないと知るべきである。人は個人のみで生まれ育つことは決してなく、尊厳ある人生を送るにはその基盤たる家族が不可欠だからである。前記の米国児童憲章はそれを端的に物語っている。

 

人権宣言も家族尊重保護条項は国の責任

 それゆえに1948年に国連の第3回総会で採択された世界人権宣言は「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する」(16条3項)と明記し、66年に採択された国際人権規約も「できる限り広範な保護及び援助が、社会の自然かつ基礎的な単位である家族に対し、…与えられるべきである」(人権A規約10条1項)と定めているのである。

 

 海外の多くの憲法もその立場に立っている。例えば、人権憲法として名高いワイマール憲法(ドイツ憲法=1919年制定)は「家族の清潔を保持し、これを健全にし、これを社会的に助長することは、国家および市町村の任務である」(119条2項)としていた。

 

 戦後のドイツ基本法(憲法)もこの精神を継承し、「婚姻および家族は、国家秩序の特別の保護を受ける」と規定し、「子供の育成および教育は、両親の自然的権利であり、かつ、何よりもまず両親に課せられている義務である。この義務の実行については、国家共同体がこれを監視する」(6条)とうたった。

 

 イタリアの戦後憲法も「共和国は婚姻に基づく自然共同体としての家族の権利を認める」(29条)と家族条項を定め、「子供を育て、教え、学ばせることは両親の義務であり、権利である」(30条)、「共和国は、経済的および他の措置により、家族の形成およびそれに必要な任務の遂行を、助ける。大家族に対しては特別の配慮を行う」(31条)としている。

 

 いずれも先の大戦の敗戦国だが、同じ立場でありながら、戦後に制定されたわが国の現行憲法だけが違っている。世界人権宣言や独伊の憲法観から大きくかけ離れ、家族保護規定はどこにも設けられていないのである。

 

 こうした点を問題視したのは読売新聞だった。同社が発表した改憲試案(2004年版)は「児童虐待など社会のひずみが象徴的に表れている家族の問題の重要性から、新たに家族条項を設ける」ことが必要だと指摘し、憲法24条の改正を提言、新たに第1項に「家族は、社会の基礎として保護されなければならない」との条文を盛り込むことを主張した。

 

 12年にまとめられた自民党憲法改正草案は「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」との家族条項を新たなに設けている。

 

 また13年には当時の維新の会の国会議員団が憲法の第3章「国民の権利及び義務」に関する「基本的方向性」をまとめ、その中で「『自立する個人』を支える基盤として、『家族の価値と、それを保護すべき国の責任』の新設を検討する」と、改憲の主要課題に「家族の価値」を取り上げている。

 

 これに対して左翼勢力は猛反対している。それはマルクスの盟友エンゲルスが「歴史にあらわれる最初の階級対立は一夫一婦制における男女の敵対の発展と一致し、また最初の階級抑圧は男性による女性の抑圧と一致する」(『家族、私有財産および国家の起源』)とし、家族を「階級社会」と捉えて家族解体を「進歩」としたからである。

 

 こういう言に従えば、日本は滅びる。超少子化を克服できるのは婚姻と出産に関わる「家族」のみである。家族を重視するあらゆる施策を動員し出生率の向上を目指さねばならない。そのために憲法に家族保護条約を明記しておかねばならないのである。

 

(「世界思想」2017年5月号より転載)

 

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